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NO.173 福島県からは全員避難しなければなりません~その2~

NO.173
福島県からは全員避難しなければなりません~その2~

 私は、3・11以来、フクシマのことに専念して過ごしてきたが、少しずつ少しずつ常に事態の重大さに後れをとってきた、という印象がある。その時点その時点の的確な行動を、少しずつ外してしまっている。
 なかでも、最初期に援助体制を組めなかったことが一番大きい。「梅ドみ運動」を実際に開始したのも3月28日である。3・11から2週間以上経っている。
 懺悔、懺悔、懺悔。フクシマの人びとに申し訳なくてたまらない。
 さらに、まず第一に発すべきであった「一斉避難だ!」「逃げろ!」の声が弱すぎた。
 最初期に政府の目くらましに遭って、「避難だ!」と大声で言えなかったのも痛恨の極みだが、その後、各地の線量観測の中で、「これは大変だ!」とわかり始めて以降も、「避難だ!」「逃げろ!」の大波を起こすことはできなかった。
 チェルノブイリの晩発性障害の恐怖の現実を少しでも知る者なら、「即座に避難せよ!」「すぐに逃げろ!」と声を限りに叫んで、大きなパニックを起こさなければならなかっただろう。数百万規模の人びとがジワジワと低線量被曝をしつづけるという恐怖の事態を避けるためには、どんなことでもすべきだったのだ。
 懺悔、懺悔、懺悔。
 なまじ、チェルノブイリ現地の現実を知っているからこそ、どこかで私は、危機的な事態が発生しているのなら、政府が住民全員を一斉に避難させるはずだ、と思い込んでいた面がある。チェルノブイリのとき、プリピャチ市民は一斉に強制避難させられ、その後も、周辺の村々から、遅れ遅れではあるが、人びとは強制避難させられたのだ。私は勘違いしていた。「真に危機的な状況が発生していても、政府が強制退去令を出さない場合がある」というもう一つの可能性をあまり考えていなかったのである。無意識のうちに、私は、この日本国憲法下の日本政府を信頼していた、ということになる。よく考えてみれば、政策決定に携わる者のうちの誰か一人でも、ヒロシマ、ナガサキの問題を自分自身の問題として生きてきた者がいるだろうか。さらに、冷静に考えてみるなら、この日本列島に居住している者は、ほとんど誰もチェルノブイリ被災者の現実など知りはしなかったし、知ろうともしていなかった。3・11以前にチェルノブイリ被災者の現実を知らなかった者が、3・11以降になって即座にその真実の姿を知るということはあり得ないだろう。
 だから、これは、少しでもチェルノブイリ被災者の現実を知っている者の責任である。

 私は、これから、福島の皆さんに向かって、「まず第一に避難」、「次に解毒と免疫力強化」、「そして無料定期検診・治療を実現するために団結を」という内容の話をしようとしているのである。しかし、見たところこれほど平穏な福島で、「避難を!」という声は届くのだろうか。
 私はかつてキエフのニコラ・メンデル医師が書いていた文章の一節を改めて読み直していた。

「(略)チェルノブイリ原発事故は、1986年4月26日に起こりました。この事故で原子炉内から膨大な放射性物質が大気中に放出されました。この日は、ウクライナにとって永久につらい日として残るでしょう。チェルノブイリという言葉は、お灸で使う薬草の一種(ニガヨモギ)を意味しますが、苦しい響きをもってしまいました。
 4月28日、月曜日の出来事は、今でもよく覚えています。その日、私はキエフ医科大学で授業を受けていました。そして初めてチェルノブイリという言葉を聞きました。その時、私たちは、この事故に大きな意味があるとは思いませんでした。公式発表は何もありませんでした。チェルノブイリがキエフからそれ程遠くない所にあることすら、それまでは知りませんでした。
 4月28日は、花や木の香りの漂う春らしい一日でした。いつものように何の用心もしないで過ごしていました。その日、どういうわけか、キエフ市内で、一羽の鳥も見かけませんでした。鳥は1986年の夏の終わりに戻ってきました。
 事故後にも悲劇はありました。――ミハイル・ゴルバチョフ政府は、事故についての真実を隠していたのです。私たちは、身のまわりにどんな危険がひそんでいるのか知ることができませんでした。何の予防措置も講じられませんでしたし、逆に5月1日のメーデーにはたくさんの人々が外で行進を行い、子どもたちは、学校に行き、外で遊びました。
 その日のテレビで見た次のような会話が記憶に残っています。乳母車に子どもを乗せてキエフの街を歩いている若いカップルがテレビに映りました。ジャーナリストがそのカップルに「キエフにも放射能があるといううわさですが、どう思われますか?」と聞いていました。男性のほうが「何ですって!? 放射能? あなたは見えますか? 私は、今日一日中、ぶらぶら歩いていましたけれど、何も感じませんでしたよ。何も問題はありません」と答えていました。
 かわいそうな人たちです。放射能の危険性を何も理解していなかったのです。……もし、真実を知って放射能対策を行っていれば、わずかでも病気の予防になったろうにと、最近よく思います。土中の放射能は、なかなか消えないようです。キエフの放射能の数値は正常になりましたが、人々は、長期に渡って影響を受ける毎日を送り始めたのです。(略)」(1992年10月記。而立書房刊『原子力発電所の爆発事故から6年目のチェルノブイリの子どもたち』p.122~123)

 今、この平穏な福島市街を歩いていると、「かわいそうな人たちです。放射能の危険性を何も理解していなかったのです」というメンデル先生の言葉が真に迫ってくる。
 そして、「……もし、真実を知って放射能対策を行っていれば、わずかでも病気の予防になったろうにと、最近よく思います」。
 ――メンデル先生のこの思いは、爆発事故の6年後の思いなのだ。私たちにはまだ5年半の時間がある。
 しかし、晩発性障害の爆発的発生に先んじて、避難を進め、解毒と免疫力強化を行いながら、全科無料定期検診・治療制度を用意するのには、あと3年~4年しか時間は残されていない。 3年~4年後には、きっと爆発的な発症期がやってくる。
 いや、もしかすると、日本列島では海草を日常的に食べているから、放射性ヨードによる甲状腺障害は多発しないかもしれない。そうすると、セシウムによる病気の多発までは、もう少し時間があるかもしれない。
 いずれにせよ、かりに3年~4年後にそれほどの爆発的な発症が見られなかったからと言って、安心するわけにはいかないのである。このままだと、いずれ、甲状腺障害以外の、たとえば心臓障害とか、脳血管障害とか、いろんながんなどが、そこらじゅうで発生してくる。政府は、それを、「2人に1人はがんの時代だから」と言って、福島原発事故との因果関係を認めない、という態度で押し通す腹づもりだろう。しかし、やがて襲ってくる事態は、そんな姑息な手で押し通せるようなレベルのものではない。考えてもみるがいい。朝、元気で出かけた人が、あちらでもこちらでも突然死を遂げ始めるのである。学校では、体育の時間に見学者が急増し、授業中に背筋を伸ばしておくことができない生徒が急増する。学力低下のため、通常のカリキュラムをこなすこと自体ができなくなる。――さまざまな異変が一気に襲いかかってくる。
 この厳粛すぎる真実、福島の人びとにどうやったら理解してもらえるのだろう。
  いま備えをしておかなければ、あなたたちの未来は、このうえなくつらいものになるのです。
 広島の被爆者で、「がんのために、身体じゅうを切り刻まれたよ。放射能はほんとにむごい」と言う人がいる。実際、いろんながんに次々に襲われ、入退院、手術を繰り返してきた被爆者は少なくない。原爆の後障害がどれほどひどいかをわかってもらうための例として、こうした、手術、手術を繰り返さざるを得ない被爆者の現実が語られることもある。しかし、こうした「入退院、手術」は、被爆者に対する援護措置、医療費補助等の施策があって初めて実施され得るものなのだ。早い話が、ヒロシマ、ナガサキ(とネバダ風下地区の住民)以外の世界のヒバクシャは、こうした定期検診・無料治療の「恩恵」に浴してはいない。
 ヒロシマ、ナガサキの被爆者は、フクシマとは比較にならないほど数が少ない。それでも被爆者のための医療二法ができて一応の援護措置が実現されるまで12年もかかっている。フクシマの場合、ヒバクシャの数が多すぎるため、今のままでは、がんになっても、医療費が補助されることなど、まずあり得ないだろう。がん保険もやがて無用の長物と化す。フクシマ・ヒバクシャには「入退院、手術」を繰り返すような、幸福な医療は手にはいりそうもないのである。まともな検診も治療も得られないうちに、「調査」だけされて、あとは放置されるだけであろう。この日本は、ほんとうに冷たい、無慈悲な国に成り下がっていくのである。大地震、大津波、原発事故で壊滅的な被害を受けた被災地にとって復興への道は遠いが、フクシマ・ヒバクシャ(必ずしも福島県のみではない)にとっては、今が最も幸せな時である。このまま、何も対策を講じないままでいる限り、事態は加速度をつけて悪化していくばかりなのである。
 
 私は咳き込みながら、ようやくの思いでNPO法人シャロームの「まちなか夢工房」にたどりついた。苦しくて仕方がないので、挨拶に応じることもなく、いきなりソファーに固まらせていただいた。ともかく、講演開始までに、この咳き込みと熱っぽいボンヤリ感を何とか改善しなければならない。30分足らずしかない。じっとしていて、梅醤番茶を一杯いただけたのがよかった。そのうえ、ドクダミ茶の薄いのに梅干しを入れたのもいただいた。じいーっと呼吸を整えながらすわっているうちに、これは何とかやれるかもしれないと感じはじめた。私は立ち上がって、ふつうに話してみた。咳も出ない。どうやら今日の務めを果たすことができそうである。それにしても、一斉避難を呼びかけ、避難のための具体策を相談しようという私の意図を貫くには、相当な気合が必要だ。今のこの身体で、そこまで粘り強く話せるだろうか。 
(甲斐記)
(つづく)


梅ドみ 3/28~9/01(木)
 福島市のNPO法人シャロームと連携して、フクシマの被災者の方々にお届けしています。
 ≪ここに挙げるのは、購入分のみです。多くの方々が、自家製味噌、自家製梅干し(多量集まりました)、乾燥ドクダミ、無農薬玄米などを現物で提供してくださいました(現在も継続中)。特に乾燥ドクダミは、刈って、きれいに洗って、充分に陰干しをして、適度な大きさに切って、ビニール袋に小分けして詰めるのですが、ここまで結構、時間も労力もかかります。頭の下がる思いのすることもあります。また、購入分につきましては、府中味噌組合3社、ひろしま全農、マルシマ食品等、広島県内の製造・販売元の方々が、利益抜きの奉仕価格で特別に提供してくださっています。≫

残高 -501,646円  収入(梅ドみ募金)2,836,952円   支出(購入分)3,338,598円   
(内訳)味噌 3,660kg 1,051,400円; 梅干・醤油 755,680円; 十穀・黒米 32,991円; 無農薬(無化学肥料)玄米 60kg 25,800円; 無農薬(化学肥料半減)玄米 120kg 45,200円; ドクダミ(茶)、青のり、黒ごま、自然塩(天日塩)、ウーロン茶、ほうじ茶、かき葉、はぶ茶、ワカメ、昆布、ニンジンなど 873,713円; 漢方入浴剤・貼薬材料117,117円;濾紙、ペットボトル27,275円;ダンボール、フリーザーバッグ、粘着テープ、はかり、やかん、容器、アルコール、ハサミ、ピンセット、コットン、レーザープリンターラベル、ペットボトルなど 104,432円;運送費 304,990円(103回分)

(9/01・木)第103便(段ボール4箱)
内訳:①味噌20kg、100%ドクダミ茶4箱、ニンジン5kg、カットわかめ(小)2袋、すりごま(黒)4袋 
    ②味噌20kg、100%ドクダミ茶4箱、徳用ドクダミ茶4袋、ニンジン5kg、すりごま(黒)4袋 
    ③味噌20kg、徳用ウーロン茶6袋、自家製梅干し・多数、すりごま(黒)2袋 
    ④マルシマ梅干し2ケース、徳用ドクダミ茶4袋、赤穂の塩7袋、自家製梅干し、カットわかめ(小)9袋


  みなさん、ジュノーの会・「梅ドみ募金」に力を貸してください。「梅ドみ」とは「梅干し・ドクダミ茶・味噌」のことです。ヒロシマ、ナガサキを生き抜いた人びとの代表的な養生法を紹介しています。
  毎日1個の梅干し(昔ながらの、天日塩とシソだけの)、毎日1杯のドクダミ茶(ウーロン茶とのブレンドで2~3杯)、毎日1杯の(昆布ダシ、ワカメの)味噌汁――これが基本ラインの目安です。これを毎日続けること。(ドクダミ茶については、①飲みすぎに注意してください。おいしいと感じることが目安です。②妊娠中、授乳中の方は医師か薬剤師にご相談ください。)
  砂糖は摂らないようにしてください。黒ゴマ、自然塩(天日塩)、柿の葉、ニンジン、ハブソウ、ほうじ茶(緑茶は避けたほうがいいのです)などを摂るとよいのです。プレーン・ヨーグルトにも排毒の作用があります。あと、免疫力を高める強力な作用のあるのが「青のり」。青のりを天日塩でうすい塩味にして、ふりかけのようにして食してください。 
 ヒロシマ被爆時には、人びとは藁をもつかむようにして、ある人はドクダミを飲み、ある人はナスの味噌漬けを食べ、ある人はカワラヨモギを食べました。今はいろんな食品で排毒する知恵が見つかっていますので、一つ一つの食品については、過度に食する必要はありません。ドクダミ茶や昆布などは、摂りすぎに注意したほうがよいくらいです。
  たくさんのフクシマ放射能被災者の方々が「梅ドみ」「解毒」を求めておられます。国や県、行政の支援は望めません。待っているわけにはいかないのです。ただちに「解毒」を! 遅れれば遅れるだけ危険が増します。
  どうか、全国の非被災地のみなさんの力で、より多くのフクシマの人々に、「梅ドみ」に代表される「ヒロシマの知恵」を届けてあげてください。そして、ご自分でも、「梅ドみ」を入り口にして、「健康」を求める生活を始めてください。

 いま、私たちは何をすべきか。 
 大筋だけをズバリと言わせていただく。
 まず、初期の医療空白の時代には、呆然と待っていたりせずに、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリで効果があったと伝えられる療法を可能な限り試みることである。
 次に、政治方面の努力を急いでもらって、一日も早く「全科無料定期検診制度」と「全科無料治療制度」を確立すること、そしてそれを守り抜くことである。そのとき、初めて、現代医学は力を発揮するのである。
 (「ジュノーさんのように」第116号より)

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ガンほど厄介きわまる病気はない!でも・・・

がんはとても深刻で苦しい病気です。その状況は実際に罹った者にしか分らないのかもしれません。それでも、誰にでも共通する思いは、何とかその状況を打開したいという思いではないでしょうか?
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JUNOD

Author:JUNOD
ジュノーの会について
「ジュノーの会」は、世界のヒバクシャ支援とくにチェルノブイリ原発事故の被曝者支援に取り組む広島県府中市の市民団体です。会の名前は、被爆後の広島に医薬品15トンを届け、被爆者の治療にあたったスイス人医師、マルセル・ジュノー博士(1904~61年)にちなんでいます。博士の精神を受け継ぎ、86年のチェルノブイリ原発事故の被曝者支援のため88年に発足しました。会員数は全国に約500人。これまでに延べ約200人の医師を現地に派遣し、甲状腺がんなど1000人以上の患者を診療、一人ひとりの患者さんにカルテ報告を行い、同時に小児白血病治療、血液感染症予防などの医療協力活動、またヒロシマとチェルノブイリのヒバクシャ交流を進めるなど、被災者の側に立った援助活動を続けています。チェルノブイリ被災者市民団体との強い協力関係もあります。

ジュノーの会の郵便振替の口座番号は以下のとおりです。
郵便振替=「01370-0-29460・ジュノー基金」
口座名義は「ジュノー基金」です。ジュノーの会ではなく、「ジュノー基金」です。
通信欄か空白に、「梅ドみ」と明記してください。

他銀行やネットから振込んでいただくときは、以下の振込先にお願いします。
   <他銀行から振込む場合の振込先>
   銀行名ゆうちょ銀行
   ■金融機関コード9900
   ■店番139
   ■預金種目当座
   ■店名一三九 店(イチサンキユウ店)
   ■口座番号0029460

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