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NO.165 森本範雄さんとジトーミルの3医師(1992年7月5日)~その2~ ~チェルノブイリの現場の医師、ヒロシマの被爆者と出会う②~

NO.165
森本範雄さんとジトーミルの3医師(1992年7月5日)~その2~
~チェルノブイリの現場の医師、ヒロシマの被爆者と出会う②~


(而立書房刊『ジュノーさんのように』第2巻「チェルノブイリからきた医師と子どもたち」p.174~177より) 

(略)
 爆心地にあたる島外科、原爆ドーム、相生橋をまわって、公園内で休めるところをさがしている時、どなたかが、「森本さんは先生ですか」「本当はなりたかったんです。……でもヒバクしたからなれなかった」。少しうつむき加減に答えられた森本さんに、サーシャ先生が「森本さんは一番いい先生になりました。」と言われた。ぐっとくる瞬間だった。
 この後、ベンチに腰かけて、森本さんのヒバク体験を聞いた。森本さんは「とても全部お話できないと思いますが、できるだけ詳しくお話したいと思います。」と前置きされ、話し始められた。

 「当時私は、学徒動員で軍需工場へ働きに出ていたが、どうしてももう少し勉強を続けたかった。そこで見つけたのが小学校の代用教員でした。
 その小学校へ勤めてしばらく後に肋間神経痛にかかったため、学校を10日間休みなさいという診断書がもらえた。しかし、一週間くらいでよくなった。
 その一週間目の朝、家を出る時考えた。“もう一度病院へ行こうか、学校へ出ようか”――学校と病院は反対方向。停留所に一台電車が入ってきたとき、無意識のうちに乗った電車は病院の方向へ行くものだった。――学校は爆心地となる場所から6キロ。病院は約1100メートル。
 病院の前の停留所を降りたときに昔の同級生に久しぶりに会ったので、いろんなことを話しながら道を歩いた。爆心地となる方向へ向かって。約100メートルくらい歩いたところで向き合って話し始めた。
 そのとき8時15分になり、爆発に出会った。
 いいお天気だった。その明るい太陽よりもまだ明るい、ものすごい鋭い光が真正面から目に飛び込んできた。すぐに、訓練していたように地面に伏せて目を隠し、耳に蓋をしようとした。けれど、蓋をする前に大きな爆発音が飛び込んできた。ただの大きい音ではない。聞いただけで命の縮まる思いのする恐ろしい音。……早く伏せようとして前かがみになった。そこへやってきたのが爆風。それは、私の身体をどこかへ持って行き、地面に落とした。……そして私はそれっきり失神してしまっていた。
 気がついた時には、さっきまであれだけ明るかった周りに光がなんにもなくなっていた。爆発の時にできたきのこ雲、あの雲のいちばーん底に私はいた。きのこ雲の密度の濃さのため太陽の光がさしてこなかったわけです。そして音がない。静かなんです。しーんとしている。しかし、本当に音がないはずはない。いろんなものが倒れたり崩れたりしているんだから。先ほどの爆発音で私の耳がへんになって、一時的に聞こえなくなっていたんです。だから、光のない、音のない世界で独りぼっちでぽつーんと座っていたわけです。どんなことが起きたのか、さっぱり理解できませんでした。
 だんだん見えるようになってきた時には、男も女も丸裸。丸裸のくせになにやらぶら下げてる。よく見ると、身体じゅうの皮膚だった。みんな申しあわせたように手を前につきだして、首をたらーっと下げている。これは、ちぎれた皮膚が、動くたびにぶらぶらゆすぶられて痛いため。また皮膚がちぎれて出血しているので、せめて腕だけでも心臓から高い位置にしようとする本能的な姿勢なんだそうです。けれど、私はその時そんなことは知らないから、“この連中はきっと幽霊に違いない”と思った。そして、ここは地獄だろうかと変な錯覚に陥った。
 自分も周りの人たちのようなのだろうかと思って自分の格好をながめた。不思議なことに私にはちゃんと、焼け焦げてはいたが服はあった。手は血の気がなく、身と皮と剥がされて親指と人差し指の間に粘土のように皮が固まっていた。右の耳の下には小さなこぶのようなものがぶら下がっていた。その時はなぜそういうことになったのかわからなかった。ただ怖かった。……後になって、あることに気がついた。爆発の瞬間に私と原子爆弾との間に、立ち話していた友だちが……。友だちがぴったり私の上をカバ-してくれ、それで皮膚は、いったん剥がれはしたものの引きちぎられず残っていたのだ。そのかわり、友だちはその場所で死んでころがっていた。……友だちのカゲのおかげで、私は最初の命拾いをしたのです。
 そのうちに、目のところの焼けた皮膚がくずれ始めた。向こうが見えない。もうこれでおしまいかと思ったが、こんなところで死にたくないと思ってめくらめっぽう逃げた。そして、軍のトラックが助けにきてくれて、焼け焦げて真っ黒になった丸太ん棒みたいな人たちと一緒に運ばれた。軍につくと、品物を分けるように人々を2つのグループにわけ、名前、年令、住所を聞いて、荷札に書いてぶら下げていった。
 しかし、いくら待っても待っても誰も助けにきてくれない。(略)
私はそのままそこで、なんの治療もうけられないまま朝を迎えた。私の周りにいた人たちは朝までの間にほとんど死んでしまっていた。やっと治療の順番がまわってきた時には、その部隊には薬らしい薬はほとんど残っていなかった。崩れてしまった皮膚、出てきた血、飛んできたゴミをやかんの水でザブザブ洗い流すだけだった。ガーゼの1枚、包帯の1本もない。汚いものを洗い流した水が全部私の焼け残った服の上を通っていく。着替えもさせてもらえない。そういう不潔な状態だったので、すぐにうじ虫がわいてきた。頭の中からポロポロ。手にぴたっと食い付いている。鼻の中、口の中に勝手に入り込んでくる。もう汚いという感覚はない。口の中のは、舌でまるめて吐き出したが、耳の中のは自分ではどうすることもできない。うじ虫の音が聞こえる。行列をつくって頭の中まで入りこんできたらと想うと怖くなって、わめきちらしてしまった。そしたら、一人の兵隊さんがぶつぶつ言いながらもマッチ棒で根気よく長い時間をかけてとってくださった。また生きのびることができると思い、その口の悪い兵隊さんに大変感謝しました。
 ケガをしたたくさんの人の中で、私のすぐ隣に5人連れの家族がいた。私と同じくらいの年だろう、17、18の娘さんが、家族の中で彼女だけケガがなかったため、一人で家族4人の看病をしていた。おまけに独りぼっちで寝っころがっていた私の看病もしてくださった。私の身の回りのこと、汚いこと、全部いやな顔ひとつせずしてくださった。ありがたかった。ところが、どこにもケガがなかったその娘さんが、ある日突然、髪の毛が抜け、苦しみながら亡くなった。娘さんの“もうおしまい。助からない……”という独り言を聞いたとき、とてもつらかった。私には何もしてあげることができなかった。(以下、略)


梅ドみ 3/28~8/08(月)
 福島市のNPO法人シャロームと連携して、フクシマの被災者の方々にお届けしています。
 ≪ここに挙げるのは、購入分のみです。多くの方々が、自家製味噌、自家製梅干し(多量集まりました)、乾燥ドクダミ、無農薬玄米などを現物で提供してくださいました(現在も継続中)。特に乾燥ドクダミは、刈って、きれいに洗って、充分に陰干しをして、適度な大きさに切って、ビニール袋に小分けして詰めるのですが、ここまで結構、時間も労力もかかります。頭の下がる思いのすることもあります。また、購入分につきましては、府中味噌組合3社、ひろしま全農、マルシマ食品等、広島県内の製造・販売元の方々が、利益抜きの奉仕価格で特別に提供してくださっています。≫

残高 -282,596円   収入(梅ドみ募金)2,611,066円   支出(購入分)2,893,662円   
(内訳)味噌 3,240kg 938,000円; 梅干・醤油 602,364円; 十穀・黒米 32,991円; 無農薬(無化学肥料)玄米 60kg 25,800円; 無農薬(化学肥料半減)玄米 120kg 45,200円; ドクダミ(茶)、青のり、黒ごま、自然塩(天日塩)、ウーロン茶、ほうじ茶、かき葉、はぶ茶、ワカメ、昆布、ニンジンなど 746,886円; 漢方入浴剤・貼薬材料117,117円;濾紙、ペットボトル27,275円;段ボール、フリーザーバッグ、粘着テープ、はかり、やかん、容器、アルコール、ハサミ、ピンセット、コットン、ペットボトルなど 89,359円;運送費 268,670円(91回分)

(8/08・月)朝・第90便(段ボール3箱・うちクール1)
内訳:①味噌20㎏、100%ドクダミ茶8箱、カットわかめ(小)6袋
     ②梅干し2ケース、100%ドクダミ茶9箱、徳用ウーロン茶2袋、カットわかめ(大)1袋、(小)1袋                    ③(クール)ジュノーの会入浴剤(非売品)51本、カットわかめ(小)1袋、青のり粉2袋
(8/08・月)夕・第91便(段ボール2箱)
内訳:①味噌20kg、100%ドクダミ茶4箱、徳用ウーロン茶4袋、黒米6パック、すりごま4袋
    ②味噌20kg、100%ドクダミ茶4箱、徳用ウーロン茶4袋、青のり粉4袋、すりごま3袋

  みなさん、ジュノーの会・「梅ドみ募金」に力を貸してください。「梅ドみ」とは「梅干し・ドクダミ茶・味噌」のことです。ヒロシマ、ナガサキを生き抜いた人びとの代表的な養生法を紹介しています。
  毎日1個の梅干し(昔ながらの、天日塩とシソだけの)、毎日1杯のドクダミ茶(ウーロン茶とのブレンドで2~3杯)、毎日1杯の(昆布ダシ、ワカメの)味噌汁――これが基本ラインの目安です。これを毎日続けること。(ドクダミ茶については、①飲みすぎに注意してください。おいしいと感じることが目安です。②妊娠中、授乳中の方は医師か薬剤師にご相談ください。)
  砂糖は摂らないようにしてください。黒ゴマ、自然塩(天日塩)、柿の葉、ニンジン、ハブソウ、ほうじ茶(緑茶は避けたほうがいいのです)などを摂るとよいのです。プレーン・ヨーグルトにも排毒の作用があります。あと、免疫力を高める強力な作用のあるのが「青のり」。青のりを天日塩でうすい塩味にして、ふりかけのようにして食してください。 
 ヒロシマ被爆時には、人びとは藁をもつかむようにして、ある人はドクダミを飲み、ある人はナスの味噌漬けを食べ、ある人はカワラヨモギを食べました。今はいろんな食品で排毒する知恵が見つかっていますので、一つ一つの食品については、過度に食する必要はありません。ドクダミ茶や昆布などは、摂りすぎに注意したほうがよいくらいです。
  たくさんのフクシマ放射能被災者の方々が「梅ドみ」「解毒」を求めておられます。国や県、行政の支援は望めません。待っているわけにはいかないのです。ただちに「解毒」を! 遅れれば遅れるだけ危険が増します。
  どうか、全国の非被災地のみなさんの力で、より多くのフクシマの人々に、「梅ドみ」に代表される「ヒロシマの知恵」を届けてあげてください。そして、ご自分でも、「梅ドみ」を入り口にして、「健康」を求める生活を始めてください。

 いま、私たちは何をすべきか。 
 大筋だけをズバリと言わせていただく。
 まず、初期の医療空白の時代には、呆然と待っていたりせずに、ヒロシマ、ナガサキ、チェルノブイリで効果があったと伝えられる療法を可能な限り試みることである。
 次に、政治方面の努力を急いでもらって、一日も早く「全科無料定期検診制度」と「全科無料治療制度」を確立すること、そしてそれを守り抜くことである。そのとき、初めて、現代医学は力を発揮するのである。
 (「ジュノーさんのように」第116号より)

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プロフィール

JUNOD

Author:JUNOD
ジュノーの会について
「ジュノーの会」は、世界のヒバクシャ支援とくにチェルノブイリ原発事故の被曝者支援に取り組む広島県府中市の市民団体です。会の名前は、被爆後の広島に医薬品15トンを届け、被爆者の治療にあたったスイス人医師、マルセル・ジュノー博士(1904~61年)にちなんでいます。博士の精神を受け継ぎ、86年のチェルノブイリ原発事故の被曝者支援のため88年に発足しました。会員数は全国に約500人。これまでに延べ約200人の医師を現地に派遣し、甲状腺がんなど1000人以上の患者を診療、一人ひとりの患者さんにカルテ報告を行い、同時に小児白血病治療、血液感染症予防などの医療協力活動、またヒロシマとチェルノブイリのヒバクシャ交流を進めるなど、被災者の側に立った援助活動を続けています。チェルノブイリ被災者市民団体との強い協力関係もあります。

ジュノーの会の郵便振替の口座番号は以下のとおりです。
郵便振替=「01370-0-29460・ジュノー基金」
口座名義は「ジュノー基金」です。ジュノーの会ではなく、「ジュノー基金」です。
通信欄か空白に、「梅ドみ」と明記してください。

他銀行やネットから振込んでいただくときは、以下の振込先にお願いします。
   <他銀行から振込む場合の振込先>
   銀行名ゆうちょ銀行
   ■金融機関コード9900
   ■店番139
   ■預金種目当座
   ■店名一三九 店(イチサンキユウ店)
   ■口座番号0029460

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